ねぶた!!!
by denshu2008
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
オフィシャルサイト
以前の記事
2017年 10月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2015年 11月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
カテゴリ
全体
商品案内
弊社近況
イベント
杉玉の歴史
雑記
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
カテゴリ:杉玉の歴史( 5 )
■ 杉玉のルーツを探す旅に出てみた。最終回 [松尾大社編]
なんとか最終回を迎えることが出来ました。。。ルーツを探す旅人[Ta]です048.gif

前回は大分「杉玉」から離れた話題になってしまいましたが、今回はその続きとこれまでの総まとめのお話をしようかと思います。

京都太秦で見たかった寺社を一通り廻った後は、これまた観光名所として有名な嵐山へ向かいます。目指すは、奈良「大神神社」と並び“酒造の神”として全国の蔵元より多くの崇敬を受けている神社「松尾大社」です。

「松尾大社」は『山背国風土記』に記録が残る京都最古社としても有名で、神奈備である「松尾山」に鎮まる大山咋神(おおやまくいのかみ)を祭祀しています。
f0173161_15254568.jpg
                          ↑京都市西京区嵐山「松尾大社」

「松尾大社」の勧請は、大宝元年(701年)秦酒公(はたのさけのきみ)の後裔である秦都理(はたのとり)による創建以前の「松尾山」の古い山岳信仰まで遡ると言われています。

現在のように酒神として崇められるようになったのは、天平5年(733年)に当時の社殿背後の御手洗谷より霊泉が湧き、松尾社の神使として谷より度々姿を現す“瑞亀”にちなみ「亀の井」と称してこの清水を酒の醸造に用いるようになったのが由縁と言われています。

また、その御神託から「大酒神社」より秦氏の祖霊を改めて「松尾大社」に遷座したのを機に“日本酒醸造の祖神”として今日のように篤く信仰されるようになったと伝えられています。
f0173161_1533128.jpg
                       ↑神奈備「松尾山」を背にした「松尾大社」本殿

前回、前々回と『古事記』や『日本書紀』に見る「日本酒の原初」として米と米麹で造る酒造法による【醴酒】(こざけ)について触れましたが、それ以前の日本酒は?というと、生米を噛んで水に吐き出すことで唾液中の澱粉分解酵素を利用し、空気中の野生酵母で糖化作用を促す原始的な醸造法【口嚼酒】(くちかみのさけ)や、餅米に醪を混ぜて挽くペースト状の【練酒】(ねりざけ)があります。

【口嚼酒】を除けば日本では稲作が成立した後は、コウジカビによる糖化作用を利用した醸造法が確立していたのは明白で、それ故に秦氏がどんな酒造技術を大陸よりもたらしたのかが曖昧になってしまうのです。。。

ということで、ここからは推測ですが……現在の日本酒とほぼ変わらない製法によって醸造されたと言われる『南都諸白』に代表される【僧坊酒】(そうぼうしゅ)の成立が平安時代であった事に着目します。

律令制下の日本では、酒造りを目的とする宮内省造酒司(さけのつかさ)の酒部(さかべ)と呼ばれる部署が設けられ、朝廷による酒造りの統制が行われていましたが、平安時代に入って機関としての能力が衰退化すると、その人材や技術は各地の寺社へと流出し、結果投入する技術に制約が無くなった事からより上質な日本酒である【僧坊酒】が誕生しました。
f0173161_1539929.jpg
                     ↑境内にある全国の蔵元より奉献された飾り樽

特に奈良菩提山正暦寺にて醸された諸白(米・米麹ともに精米された米を使用したものを
指す)『菩提泉』は“日本で最初の清酒”とも言われ、その名声は戦国時代まで続きました。
こうした近代清酒醸造に通じる技術の一端か、あるいは基礎を平安期に隆盛を極めた秦氏
が持ち込んだ(秦氏は寺社との強い繋がりもありますし)……なんて考えすぎでしょうか(笑)

                          063.gif

ところで、「松尾大社」には他の神社には見られない珍しい習しがあるのをご存知でしょうか?

それは鳥居の注連縄に束ねられた榊の枝を吊り下げる『脇勧請』と称されるものです。実は全国どこの神社でも鳥居の左右の柱に榊の小枝を挿す『脇勧請』を見ることが出来るのですが、「松尾大社」のものは原初的な鳥居の形を残す非常に珍しい形式なのです。

古来は参道の両側に二本の神木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張って更にその年の月数だけ細縄を垂らし月々の農作物の出来具合の吉凶を占ったと伝えられていますが、この形式を今でも受け継いでいるのが松尾大社の鳥居に下がった独特の『脇勧請』です。現在では鳥居に注連縄を張り、そこに平年12本・閏年には13本の榊の小枝を束ねたものが下がっている様子を見る事が出来ます。
f0173161_1544569.jpg
                  ↑松尾大社の鳥居に吊り下げられた原初的形式の「脇勧請」

この『脇勧請』の状態を見てピンと来た方は、おそらく私と同類でしょう(笑)。「大神神社」のご神託にあやかり杉葉や枝を吊るす行為が先に成立したのは疑う余地も無いとして、その後これらが箒の如く束ねられ軒先に吊るされた様は、まさしくこの「松尾大社」の『脇勧請』のようであったろうと想像するのに難くないでしょう。

とはいえ、それを証明する記述も見当たらないので勝手な想像の域を出ませんが、こうして一つの文化の変遷を辿って歴史の深みを垣間見る事を楽しめただけでも良しとしましょう003.gif

というわけで、最後までこのシリーズをお読み下さった皆様、本当にありがとうございました。
そして、暑い中各地を一緒に廻ってくれたU様に心より感謝040.gif

(文/撮影:Ta)
[PR]
by denshu2008 | 2008-08-26 15:51 | 杉玉の歴史
■ 杉玉のルーツを探す旅に出てみた。その3 [京都太秦編]
とうとう第三回目になりました、ルーツを探す旅人[Ta]です048.gif

これまでは「大神神社」を中心に酒造に関わる社と杉玉の関係について書きましたが、今回からは舞台を奈良から京都に移しての「杉玉」の歴史を巡る旅となります。

お気付きの方もいるかと思いますが、京都にも“酒造の神”として全国の蔵元から多くの崇敬を受けている神社「松尾大社」がありますが、酒神として崇められているその理由として「大酒神社」より秦氏の祖霊を遷座したことに由来すると伝えられています。

ということで、まず最初の目的地である「東映太秦映画村」で有名な京都太秦へ。。。とは言いながら映画村に立ち寄ることもなく(爆)、杉玉のルーツを求めてマニアな歴史巡りがはじまります003.gif
f0173161_8314771.jpg
                          ↑京都市右京区太秦「廣隆寺」

最初の目的地は、厩戸皇子(いわゆる聖徳太子)の発願により、帰化氏族である秦河勝(はたのかわかつ)が建立したと伝えられる京都最古の寺院「廣隆寺」へ。

秦氏といえば、農耕、土木、管絋、工匠等の当時の先進技術を大陸及び半島より倭国へ移入し産業発展に尽力した事でも知られる有力氏族ですが、殊更有名なのが[養蚕]と[酒造]技術で、中でも秦酒公(はたのさけのきみ)は人皇二十一代・雄略天皇の御宇、各地の秦部・秦人の統率者となり、以降各技術の向上に務めたと伝えられています。

近辺には先述の通り秦氏の功績として代表的な[養蚕]技術に纏わる、通称“蚕の社”としても有名な織物の祖神を祀る「蚕養神社」(こかいじんじゃ)を摂社とする「木嶋坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)に代表される秦氏が関係した大小さまざまな寺社が存在します。
f0173161_8353816.jpg
                       ↑「廣隆寺」本堂である「上宮王院太子殿」
f0173161_8381241.jpg
                 ↑廣隆寺境内にあるかつての大酒神社址と伝えられる「太秦殿」

人皇十四代・仲哀天皇の御宇に大陸での兵乱を避けて倭国に来朝した秦始皇帝を祖とする功満王の子・弓月王(ゆんすのきみ)がその後、百済より秦氏諸族を率いて帰化し、その孫である秦酒公6世の孫・秦河勝が桂川に「葛野大堰」を築いた事により河内国讃良郡太秦(現・大阪府寝屋川市太秦)から本拠を移した先がこの京都太秦と伝えられています。

その秦河勝が秦氏の氏寺として人皇三十三代・推古天皇の御宇に建立した「廣隆寺」には、かつて氏神として“大避神”と称して秦始皇帝と弓月王の祖霊を祀り<災難除け><悪疫退散>を願った「大避神社」が現在の「太秦殿」辺りに鎮座していたと言われています。

後に、「大避神社」は先の二柱に秦酒公の功績を讃えて同社に併せ祀ることにより社号を現在の『大酒』に改められたそうです。天平5年(733年)、当時の「松尾神社」から霊泉が湧いた事から「大酒神社」より大避神を改めて斎祀ったのを機に、以降「松尾大社」は“酒造の神”として信仰されるようになったと伝えられています。
f0173161_8413344.jpg
f0173161_8415258.jpg
                     ↑京都市右京区太秦にある現在の「大酒神社」

ちなみに、現在の「大酒神社」は明治新政府の発布した【神仏判然令】により「廣隆寺」から切り離され、「廣隆寺」横の現社地へと遷し祀られています。

前回のログでも書いた通り、伝承を信じるならば掌酒(さかびと)高橋活日命が醸した御酒はコウジカビによる糖化作用を利用した米と米麹で造る酒造法と推測されますし、そうでないにしろ『古事記』や『日本書紀』には秦氏が帰化する以前、人皇十五代・応神天皇の御宇には吉野に住む非農耕民族である国樔(くず)によって【醴酒】(こざけ)が献上されたという記述から、既にこの時代には現在の日本酒醸造の基本形が出来上がっていた事が窺えます。

では秦氏が持ち込んだ醸造技術とは一体どんなものだったのでしょうか? 実のところ現在でもハッキリとは解らないんです。。。008.gif

                           063.gif

さて、気が付けば話題が「杉玉」から大分離れたところに行ってしまいましたが、実は以前「松尾大社」を訪れた時、「これが現在の杉玉のルーツなんじゃないか?」と思わせる物を見つけたので、次回はそのお話を中心に書こうと思っております。。。

おそらく最終回となるであろう『松尾大社編』まで今しばらくの猶予を040.gif

(文/撮影:Ta)
[PR]
by denshu2008 | 2008-07-23 08:32 | 杉玉の歴史
■ 杉玉のルーツを探す旅に出てみた。その2 [三輪山編]
どうも、あまり実用的でない日本史が好きな[Ta]です048.gif

前回は奈良県桜井市三輪「大神神社」と「杉玉」の起源について触れましたが今回は神奈備である三輪山に点在する酒造りと関連の深い社についてのお話を。

実はこの日、本格的な梅雨入りで全国的に大雨の予報だったので不安を抱えて行ったんですが、着いてみれば途中のトイレで傘を忘れるほどの快晴でした。

いや~、日頃の行いがいいと……028.gif
f0173161_9371917.jpg
                      ↑展望台から見た大神神社の神奈備「三輪山」

「大神神社」の境内をひと通り周ったところで、日本史上最古の街道「山の辺の道」から三輪山の麓を歩くと数多くの摂社が鎮座していますが、その中でも古来の日本酒造文化と関わりを持つ神社の一つとして「狭井神社」があります。

疫病封じの祭りが有名なことから「花鎮社」(はなしずめのやしろ)とも称される「狭井神社」は、古来より三輪山より湧き出る霊泉「薬井戸」の清水を製剤や酒造の用水として利用した歴史があり、三輪明神(三輪山)の“酒造の神”としての信仰を垣間見る事が出来ます。

山道を登ってヘトヘトになったカラダには冷たい「薬井戸」の水は格別でした(笑)
f0173161_942582.jpg
f0173161_9425273.jpg
                 ↑奈良県桜井市三輪「狭井神社」(上)とその霊泉「薬井戸」(下)

ちなみに、現在の井戸は蛇口式になっていて、近隣の方や参拝者がご神水を自由に持ち帰っていました。

山を背にした「狭井神社」から「大神神社」に向かって「山の辺の道」を下っていくと、途中に小さな社が見えてきます。高橋活日命(たかはしいくひのみこと)を祀る「活日神社」です。

前回のログを読んで頂けた方なら記憶にあるかもしれませんが、御祭神である高橋活日命は三輪山に鎮まる大物主大神に国家安泰祈願のため崇神天皇より酒造りを命じられた人物で、『崇神紀』(日本書紀)における「高橋の邑の人活日を以て大神の掌酒とす」のように、活日命が御酒の醸造を司る掌酒(さかびと)に任じられたと記されています。
f0173161_9453053.jpg
f0173161_9455457.jpg
                      ↑杜氏の祖神、高橋活日命を祀る「活日神社」

この時、醸した御酒があまりにも見事な出来栄えであった事から高橋活日命が詠んだ歌、

此の御酒は わが御酒ならず 倭成す 大物主の醸し御酒 幾久幾久
(この神酒は私が作ったのではなく、日本国を作られた大物主様がお造りになられたのです。末永く続きますように。)

は有名で、この事が三輪山の大神を “酒造の神”と崇めるきっかけとなり、今日の「大神神社」成立へと繋がったと言われています。また、これによって高橋活日命の功績が称えられ、現在の日本酒醸造には欠かせない技術者「杜氏」の祖神として祀られています。

一流の掌酒であった活日命には、一夜で酒を醸したという伝承も残っていますが、これは平安中期に編纂された『延喜式』に記されている【醴酒】(こざけ)と呼ばれる米と米麹、濾した酒を使用して造る甘酒と推測され、すでにこの時代からコウジカビによる糖化作用を利用した醸造法を用いていた事が窺えます。

ちなみに杜氏の祖神を祀る神社は全国でも唯一ここ「活日神社」だけです。

                            063.gif

「杉玉」のルーツを巡る奈良県の旅はこれまで。。。
なかなか要約するのが難しくて、解りにくい事もあるかと思いますがここまでは基本(爆)

さて、次回(暇があれば……)は更なるルーツを求めて京都へと向かいます006.gif

(文/撮影:Ta)
[PR]
by denshu2008 | 2008-07-08 11:46 | 杉玉の歴史
■ 杉玉のルーツを探す旅に出てみた。 [大神神社編]
どうも、大昔と近未来には詳しいけど現在に疎いとよく言われる[Ta]です048.gif

前回、「そのうちルーツを求めて“杉玉発祥の地”にでも飛ぼうかと……」なんて書きましたが、先週末に早速プライベートで行ってきちゃいました。。。奈良まで(爆)
ということで、今回は「杉玉」が神事に関わる古来の風習が元となっている……というお話の続きをします。

最初の目的地は「杉玉」の習し発祥の地と言われ、“酒造の神”として全国の蔵元から篤い尊崇を受ける奈良県桜井市三輪の「大神神社」へ。
f0173161_1513959.jpg
                         ↑奈良県桜井市三輪「大神神社」

「大神神社」は三諸の神奈備と称される三輪山の麓に鎮座します、『古事記』や『日本書紀』にも記述がみられる神代の創建より続く“日本最古の神社”の一つとしても有名です。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を主祭神とし、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀しています。

元来、造り酒屋の軒先に吊るされていたのは『和漢三才図会』にある鼓状または現在の球状の杉玉や酒琳ではなく、杉玉の別称である「酒葉」「杉葉(杉の葉)」が示すように、単に杉の枝(葉)そのものかあるいはそれらを束ねただけのものが吊るされていたと推測され、“酒の神”へその年の酒造りの祈願と悪疫からのご加護を願うものであったと伝えられています。
f0173161_1593148.jpg
                    ↑杉玉の由来と言われる大神神社の「しるしの杉」

この「杉の枝葉を吊るす」という習しの由縁となったのが、「大神神社」のご神徳を求めて御神木であるしるしの杉にあやかったものとされています。これは大神神社の三座が “酒造の神”として篤い信仰を集めていることに由来します。

そもそも、「大神神社」が今日のように“酒の神様”として崇敬されるきっかけとなったのは、記録上実在の可能性が認められる初めての天皇としても有名な人皇十代・崇神天皇の御宇、三輪山に鎮まる大物主大神に国家安泰を願い、その子孫である大直禰子命(おおたたねこのみこと)に祭らせ、高橋活日命(たかはしいくひのみこと)に御酒造りを命じ、それを献じたことが始まりと伝えられています。
f0173161_15173114.jpg
                          ↑各蔵元より奉献された飾り樽

日本では古来より<米が酒になる>という発酵現象が神の力によるものだと信じられていたため、酒は特別なものであり、故に酒を醸す者は「神に仕える者」だったのです。この時、高橋活日命が醸した御酒があまりに素晴らしい出来栄えであった事から、三輪山の神々を“酒造の神”と崇めるようになり、今日の酒造家による尊崇に至っています。

毎年11月14日には酒類はもちろん酢や味噌、醤油も含めその年の醸造安全を祈願する『酒まつり』が賑々しく執り行われ、この祭祀のシンボルとして「しるしの杉玉」が授与されます。

                            063.gif

結構端折って書いたつもりなんですが……難しいですね042.gif
あまり長くなるのもアレなんで、続きは暇なときにまた書きます(笑)

(文/撮影:Ta)
[PR]
by denshu2008 | 2008-06-30 15:28 | 杉玉の歴史
■ 杉玉のルーツは何処に……
ニ週間ぶりのご無沙汰、web関連担当の[Ta]でございます。048.gif

さて、当初からブログ公開が決まって以来、何について書こうかと考えたんですが、、、ふと目に留まったものがあったのでそれについて話を進めようかと。思い起こせば以前、弊社サイト内でそれについて書いた(現在、そのページはありませんが)事を思い出しまして、この機会に改めて纏めてみることにしました。

それは酒造蔵ならではの存在である「杉玉」。造り酒屋の軒下に吊るされているこの姿を、通りがかりや見学といった機会で見かけたことのある人も多いはずです。

日本酒好きの方には言わずもがな、今更「杉玉」がどんなものであるのか説明の必要はないかと思いますが、初めてこういったものに触れる方も多く居ることと思いますので改めてお話しますと、下画像を見ての如くたくさんの杉の葉を束ねて丸く剪定したものです。

元来、酒蔵ではその年の酒造り毎に“酒造の神”のご加護を願う風習として「杉玉」を吊るすと伝えられています。

f0173161_15185917.jpg~杉の葉のぴんと戦ぐや新酒樽~

とは、小林一茶の句。新酒を待ちきれないいかにも酒飲みらしい句(笑)ですが、こうして詠われるように青々とした真新しい「杉玉」が軒先に吊るされるとそれは新酒が出来た合図となり、それが季節の移ろいと共に徐々に紅く色着く様は、まるで貯蔵されている酒が熟成していくのを映しているかのようでもあります。

このように「造り酒屋が杉玉を吊るす」という風習が成立したのは寛永年間(江戸時代前期)の頃からと言われ、元々は鼓状に剪定した「酒琳(さかばやし)」と呼ばれるものが酒屋の幟(のぼり)を兼ねて掲げられるようになった、と江戸中期の今でいう百科事典に相当する書物『和漢三才図会』(寺島良安編)に記されており、現在のような球形の「杉玉」となったのは江戸時代後期に入ってからと伝えられています。

ちなみに「酒琳」という名称の由来にも諸説ありまして、これまた江戸中期の書物『類聚名物考』(山岡浚明編)には、飲んだ後清々しい気分にさせてくれることから付いたという酒の異名「掃愁箒(そうしゅうそう)」から、吊り下げた杉の枝を箒に見立てて名付けられた「酒箒(さかぼうき)」が転訛した……または江戸中期の儒学者・新井白石が唱えた、中国における“酒屋の幟”を意味する「酒屋望子(さかやぼうし)」が転訛したものとか……

これら以外にも多くの呼び名が存在する「杉玉」ですが、いずれも江戸時代に一つの文化の形態としてこのような風習が流行っていたと言うことについて触れているだけで、この「酒琳を吊るす」という習しがどのような経緯から造り酒屋やそれに纏わる神事と深い関わりを持つこととなったのかは曖昧なままです。。。

そのうち、ルーツを求めて(個人的趣味の範囲でですが…)“杉玉発祥の地”にでも飛ぼうかと思っているので、続きがあればその機会にと言うことで042.gif

(文/撮影:Ta)
[PR]
by denshu2008 | 2008-06-18 16:10 | 杉玉の歴史